保護者の方の声

「命の大切さが分かる人になってほしい」よく聞こえてきそうなフレーズです。

しかし、命の大切さなんて教えることができません。ましてや、そういうフレーズを口にする大人こそ命の実体を理解していないはずです。そんなに簡単なものではない。

だからこそ教えたい、分かってほしいと思う気持ちもわかります。

そもそも命を大切に生きている人間なんてほとんどいません。せいぜい命が消えた時に反応する悲哀の感情、憐みの心あたりを指して、その気持ちが分かる人になってほしいと思っているにすぎないのではないでしょうか。優しさ、豊な感受性、そこらあたりを大事にしたい、ということなのではないかと思います。

ですから、「命を大切にする」ということとはほど遠い。 まず、「命とは」。そして「命を大切にするとは」。簡単に説明できるものでもなく、思っているほど甘く、お人好しのような感覚でもなく、もっと壮絶で、厳しさも畏れも、それでいてあっけなく、もっとあっさりしていて、もっと野蛮な感覚をもって…。と、難しく考える必要もないかも知れません。今生きてたものが今死んだ。命とはあっけなく儚く切ない。自分がなにかするわけでもなく、森の命は変化し、動いていく。様々な命の中に自分もいる。全体の中に一つの自分がいて、一つの自分も全体である。大人はあれこれ難しく考えます。子どもは森から自然にメッセージを受け取る。いつものようにただはしゃいでいる子どもたちがそんな難しいことまで考えて過ごしている訳がないだろう。いえ、大人 には分からない恐ろしいほどの真理を感じているかも知れません。なぜなら、お山と生きているのですから。この感覚は大人は教えられません。大人が感じることもできません。ポーンと森に預けるしかないようです。(年中児お父さんTさん)

最初は4人だったので「もっと違うお友達が欲しい!」と不満を言ってましたがそれも束の間。毎日先生が天気や子どもの様子を見て山へ川へのプチ遠足、自然をたっぷり感じられる遊び、お料理、おやつ作り。我が家ではなかなか出来ない新しい発見や体験の連続に不満を言うこともすっかりなくなっていました。どろんこ園では食べ物や自然その他にも色々な大切にしないといけない物事を口だけでなく体験する事で子どもに教えて貰えました。(卒園児の母 Oさん)

息子にとってのどろんこ園はまさに、毎日楽しいもの、気持ちの良いものでした。太陽の光をたくさん浴びて、美味しいものをたくさん与えていただいて、季節をきちんと味わう健康的な生活。そして小さな集団ならではの自分の確立。小学校生活でもそれは生きているようです。(卒園児の母 Nさん)


異年齢児保育、歳時記に沿ったイベント、シーズン毎にある遠足、先生方の作る手作りのおやつ、子どもたちに料理をさせること、それはあの日のインスピレーションの期待通りでしたが、何よりも自宅では叶わない穏やかで丁寧な育児。先生方が子どもたち一人ひとりをよくみて気にかけてくださって、また、子どもが先生方をとても信頼していました。(卒園児の母 Mさん)

 

緑溢れる自然の中でのお散歩・川遊び、たまに一緒に作る給食とおやつ、やさしい色遣いの工作・染物、お友達とけんかしてもすぐに口を出さずにさりげなく見守り、気がつけば兄弟のようにまた転げまわっている・・・。  どれもさりげない日常の中にこそ大切なものがあるんだよ、と先生方は教えてくれているようです。(在園児の母 Iさん)


娘はどろんこ園が大好きで、毎日喜んで通っています。子ども同士みんな本当に仲が良く、少人数だからか兄弟のように遊び、けんかしています。娘は異性や年齢が違う子どもと遊ぶのが上手になりました。毎日自然の中でのびのび遊ぶので、身体が丈夫でよく食べよく眠ります。勉強やお行儀を教わることはありませんが、自分で考え行動すること、自然や食べ物の大切さを日々学んでいるようで、安心して見守っています。(在園児の母 Mさん)

どこの幼稚園に行っても固まって様子を見ているだけで遊べなかった娘が、どろんこ園の園庭開放では初めて来た所とは思えない遊びっぷりで驚きました。豊かな自然の中だから?少人数だから?いえ、先生方の温かさだなと思いました。できると信じて、ゆったり見守る。この環境(土地も人も)だからこそできる保育を力みすぎずに実践するどろんこ園に魅力を感じ入園を決めました。娘は、毎日とにかく楽しくて楽しくて仕方がないようです。幼児期に絶対的な安心感の中で遊びに没頭できる環境は、今の時代には貴重な存在だと思います。縁あって入園できたことに感謝の気持ちでいっぱいです。(在園児の母 Yさん)